佐藤康行~捨てる哲学

捨てる生活、捨てる技術!すべてを手に入れるなら「すべてを捨てなさい」この、捨てる発想、つまり、「捨てる哲学」こそ、これからの時代、21世紀にもっとも必要な発想なのである。

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「捨てる哲学」の実践 「縁」


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こんにちは、佐藤康行です。

本日は、「捨てる哲学」の実践 「縁」」です。

「縁」は何も、人だけではない。
本もテレビ番組も、映画も、いや、目に写るもの全て「縁」なのである。
全部「縁」なのだ。

あなたが、日本に生まれたのも「縁」である。
人間として生まれたのも「縁」。
地球に生まれたのも「縁」。
そして、あなたが自分と出会ったのも「縁」なのである。

「縁」には「直接縁」と「間接縁」がある。

「直接縁」は自分自身。
「間接縁」は外部。

つまり、あなたの目に映る世界、外界である。
別の言い方を言うと、自分自身の場合は、「因」と言っても良い。

「因」と「縁」と言う言い方もできる。

自分が「因」。
間接が「縁」。

植物で言うなら「因」は種である。
そして、太陽・水・土・肥料という「縁」によって花が咲くのである。
種を、テーブルの上に放置しておいても花は咲かないのである。
因縁というのは、このことである。

この世のあらゆるものは、そのものひとつでなりたった個体的なものは
無いのである。何かが寄り集まって出来ているのである。

人間ひとつとっても、いろんなものが寄り集まってできているのである。

水分があったりたんぱく質があったり、いろんなものが寄り集まって
出来ている存在であって、特定のものではないのである。
固定的なものはひとつも無いのである。

仮に、あるとしても、こちらに見る目が無ければ、無いのと同じなのである。
また、自分がそれを認める心が無いと、感じ取ることも出来ないのである。
五感がなければ、感じ取れないのである。
つまり、対象があって初めてそのものがあると存在できるのである。

それを仏教で言うなら「縁起」と言うものである。
「縁起」というのは、個体的なモノは無い、といういろいろなモノが
寄り集まったものの存在であって、全部「縁」の塊だということなのである。

例えば、あるAさんという人のことを、いろんな人があらゆる角度から見ると、
それぞれ全て違うのである。
人によって全部評価が違うのである。

悪口言う人がいるかもしれないし、Aさんは素晴らしい人だ、
って言う人もいるかもしれないし、全部、その人の見る次元によって
それは違うものになるのだ。
地球上に六十三億人の人がいたら、この評価は63億通りあるのである。

つまり、この場合、あるAさんとうい実体はひとつの固定化したものではない
ということなのである。

また、そのAさんを、仮に一千倍の顕微鏡で見たら、
人間の目で見たのとは違うし、一万倍でみた、百万倍で見たら…と、
倍率を上げていったら、全く違うものに見えるのである。

細胞の塊と言っても良いし、遺伝子の塊と言っても良いし、
たんぱく質だとか、水分だとか、「因」そのものも無限なのです。
「縁」つまり他人から見たものも無限なのです。

だから、あなたが、自分のものと思っているものは錯覚なのである。
自分の土地なんて言ったって、一体何が自分の土地なのか?
それは地球の土地であり、宇宙の土地なのだ。
「“自分のもの”と思っているもの」に過ぎないのである。
 
自分の物なんて無い、しかし、全部自分のものでもある。




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